雑記
2024.04.28

自分のなかの神様

以前ヨガ教室に通っていた頃、先生が「体は神様が住む宮殿、食べ物は神様への供物。だから大切に扱わないといけない」という趣旨のお話をされましたが、よく理解ができないまま、その言葉だけがずっと心の奥底に眠っていました。でも、最近ヨガと全く別の分野の本を読んでいたら、突然その意味するところがスッと心に入ってきて、漢方にも繋がっていく話だなあと思ったのでここに書いておこうと思います。はじめにその本を2冊紹介しますね。

 

まず、1冊目は『音楽と生命』。

先頃亡くなられた坂本龍一さんと生物学者の福岡伸一さんの対談をまとめた本で、「ロゴスに偏り過ぎた世界のひずみに目を向け、ピュシスの豊かさを回復するための新たな思想を求めて行った対話の記録」。ここだけ抜き出すと??ですが、ロゴスを「人工」、ピュシスを「自然」と訳せば、分かりやすくなるでしょうか。

このなかで坂本龍一さんが「大都市では、ほとんど人工物しかなくて、申し訳程度に木が立っていたりするけれども、自分自身は人間が作ったものではなくて、木と同じ、まるごとの自然なのだということです。一番身近な自然は海や山ではなくて自分自身の身体なんです」と話されていて、すごくハッとさせられました。

富山という地方都市であっても周りはほとんど人工物で、自然と人工を対比させたとき、自分は自然の一部ではなく人工の側にいるもの、自然と人間は相対するもの、と思って生きていたことに、急に気づかされました。どうしてそうなってしまったんでしょう?

そして、もう一冊は『工藝とは何か』。

塗師の赤木明登さんとデザイナーの堀畑裕之さんの、やはり対談を中心とした本ですが、赤木明登さんは輪島塗の塗師なんですね。そこで「輪島塗の高台のある背の高いお椀というのはなんのための道具か?」という話が出てくるのですが、赤木さんは「能登では(・・中略)、先祖をお祀りする行事がたくさん各家で行われていたんです。お盆とか、お正月とか、(・・中略)、いまこの世にいて生きている人たちが、神様、ご先祖様と、いっしょに食事をするためにつくられた器なんですね。(・・中略)それによって、生きている者と神がいっしょに食事をする。ご先祖ともいっしょに食べる。そのことによって、神の力をいただく。」そして「「神」というのは、西洋的な絶対神じゃなく、どちらかというと、自然そのものに近いのかなと考えたりしています」と。その神様、ご先祖様との交流のための道具をつくるのが塗師の仕事と。

また、赤木明登さんは文筆家でもあって、『名前のない道』という著作もあるのですが、このなかに赤木さんがおそらく30年以上前に能登に建てた家の話がでてきます。赤木さんは谷間にポツンとたつこの家の周りにたくさん木を植え、その木はもう家の高さをゆうに超えて成長しているそうなのですが、「僕の手で植え付けた木々が一人前の森となり、その森にこの家がのみ込まれ、消えていく姿を」夢想すると言います。

『音楽と生命』の言葉を借りれば、赤木さんはお椀という人工物(ロゴス)のなかに神(ピュシス)との連続性を求め続けていて、そのあり方がこの家にも表れているのだと感じました。それはとても筋が通っているし、『音楽と生命』で「ピュシスである自分自身にロゴスが侵入しないよう、我々は気をつけないといけない」と語られるのとは対象的に、より東洋的な考え方のように思います。

 

そして、赤木さんの考え方に触れていると、自分の中には自然やご先祖様の延長としての神様が、確かにいると思えてきました。それは何かに包まれているような温かい感じであり、自分は一人じゃないんだと心強くなる感じであり、手を合わせたくなるようなありがたい感じでもあります。冒頭の「体は神様が住む宮殿」という言葉の出典はわかりませんが、それは私にはこんな感覚として納得が出来たのでした。だから、体に摂り入れるものも神様へお供えするつもりでちゃんと選ばないといけない。そういうことなんです。

 

漢方薬を求めて来院される方の多くが、「自然なものの方がいいから」と言われますが、その心の奥にもこのような感覚が、無自覚であれあるのかもしれません。自然の延長としての自分に取り入れるべきは、ロゴスではなくピュシスだろうという文字どおり自然な感覚。その期待はけっして裏切ってはいけないと思っています。

現代の医学がロゴス(西洋薬)によって発展してきたのは事実ですが、漢方にはピュシス(自然や自然の延長としての人間)を観察し続けてきたぶ厚い先人の経験があり、実際のところ、西洋医学が太刀打ちできない洞察がたくさん詰まっています。その末席に連なる者として、もっとピュシスを理解できるようになりたいな、ならなくちゃとまじめに思いました。

最後に、『音楽と生命』のなかで漢方についても触れられていたのですこし紹介します。

福岡「動的均衡の滞りが病気であるとしたら、いわゆる近代的医学が行なっているような、ある反応を止めたり邪魔をしたり部品を取り替えたりという方法ではなくて、何か全体をゆすってやるといったことのほうが均衡を取り戻せるのかもしれません。その意味で、多方向に反応するものが一緒になっている漢方薬のようなもののほうが、動的均衡を揺らしてやるということにおいては優れていると、読み替えることができるかもしれないですね」

坂本「DNAも地球温暖化も、それこそ地球が太陽の周りを回っているということも、僕も含めた科学の素人にそれが本当かどうかを確かめる手段はありません。最終的には感覚的なところで、ただ「そうだ」と信じているだけなんです。それと同じで、ロゴスで構築された機械論的な生命観よりも、僕は動的均衡的な宇宙観、生命観のほうが信じられると強く感じますね」

坂本龍一さん、きっと漢方薬を飲まれていたんじゃないかと思いました。彼の最期が、漢方によって少しでも安寧なものであったようにと願わずにはいられません。改めてご冥福をお祈りします。